本に囲まれて過ごすということは本当に幸せなのか否か

拙宅は古い。とにもかくにも古い。
私は結婚するとき、夫への不満は一切無かった。迷いも無かったしマリッジブルーなんてものにも陥らなかった。ただし、この家だけを除いては。

築40年を軽く越えているこのマンション。3LDKである。夫がずいぶん昔(しかも独身時代だ)、清水の舞台から飛び降りる勢いで購入したものだという。新婚で幸せなのは間違いなかったが、それでも耐え切れず思わず訊ねたことがある。

「なぜ、この家を買ったのか」と。それほど古く、無駄に広く、手入れが行き届いていない家だった。夫は答えた。「だって、本を沢山買っても大丈夫でしょ?」と。私は眩暈がした。本当の話だ。

そう、夫は本の虫だった。床、ダイニングテーブル、押し入れ、ベッドの上、台所に至るまで、なぜこんなところに本が?という場所という場所に本が所狭しと積み上げられている。本棚はたったの2台しかない。

おかしい。本の数と本棚の台数がどう考えても合わない。「処分する本はないのか」と訊ねると顔を真っ赤にして「あるわけがない!」と憤慨する。私は新婚早々、途方に暮れた。しかし、この本をどうにかしなければ、生活スペースを確保することすら難しい。

ある日私は宣言した。「最北の6畳の部屋を書斎にする」と。夫はややポカンとしていたが構わず続けた。「一旦、あの部屋の本とガラクタを全て外に出す。そして新しい本棚を買って、そこに全部の本を詰め込むから」。

言うは易し行うは難し。その作業は思った以上に労を要した。しかし私は諦めずに作業を続け、本棚を買い、その書斎は1年をかけて完成した。

本棚は6台購入した。前後にスライダーが付いていて奥の本を取り出しやすい。部屋のあちこちに散らばる本をそこへ集結させ、美しく収めた…はずだった。はずだったのである。

私は再び途方に暮れた。数行前の記述を思い出して欲しい。本の虫は「本を処分しない」。そう、夫は書斎が出来た安心感からか、以前より増して本を買い込むようになり、書斎には本が溜まる一方。本棚が足りないという状況に再び陥っている。あれ?デジャヴ?私は書斎で立ち尽くす。

私にはささやかな夢があった。書斎に可愛いソファベッドとサイドテーブルを置いて、家事の合間に珈琲など淹れ、菓子をつまみながら、ゆったりゴロゴロと読書するという夢だ。いま、そのソファベッドを置く予定であったスペースには、夫が買い込んだ「これから読む本」が要塞のように積まれている。
私は、いつも、ここで小さくため息をつく。